ちょうどGWを跨るタイミングでこのシリーズを「たわごと」らせていただいたおかげで、予想よりも早く投稿する事ができました!
このヨーロッパ選手権は先の投稿どおり、オランダ代表がアンリ・ドロネーカップを掲げることとなりました。
私がオランダ代表に対し現在も変わらぬ愛情を抱くきっかけになったと同時にミランにて「オランダトライアングル」を築くことになる主役たち・・・・
ルート・グーリット
フランク・ライカールト
そして・・・・
マルコ・ファンバステン
が大好きになりました^^
ミランは暗黒の時代を経て(この辺も後日「たわごと」りたいと思っています。)セリエAの舞台にて主役を演じていたユベントスやナポリから桧舞台の中央ステージを奪うことに成功します。
そして・・・・この大会以上の衝撃を受けることになる『88-89チャンピオンズカップに優勝する』ことになります。
今大会でのオランダ代表は74年程ではなかったでしょうが結果的にセンセーションを起こしてくれたのではないかと・・・・思っています。
そして、その後のサッカー界はオランダを中心として、より攻撃的に、かつ魅力的な個人技をベースとした組織だったサッカーが世界の潮流になるのだろうと・・・・期待したものです。
しかし、今大会でも片鱗を伺うことになる悪い意味での「組織偏重主義」はその後より顕著になりました。
今大会でも個人技をベースとしたクリエイティブなチームはオランダ代表以外正直見当たらなかったのです。
その中でも西ドイツの方向性はより顕著だったと思います。
フランツ・ベッケンバウアー氏は90年のW杯に向けて益々組織重視!守備ベースの安定感あふれるチーム作りに没頭することになりました。今大会で頭角を現すことになったユルゲン・コーラーやその後登場することになるクラウス・アウゲンターラーやギド・ブッフバルトなど「ゲルマンの申し子」的な強面の屈強なフィジカルを擁した選手たちが最終ラインに居並び、中盤にはローター・マテウスを筆頭とした「汗かき」タイプの労働者が好まれることになりました。ピエール・リトバルスキーやトーマス・ヘスラーなど変化を加えてくれる選手もいましたが、局面を打開する為のツールではありませんでした。
90年W杯本番で西ドイツが披露した目新しい事といえば、左サイドのアンドレアス・ブレーメが相手中盤の人数(3人~4人)のなお外側からスペースを見つけてはオーバーラップをし、ピンポイントのクロスにより非常にリスクの少ない、効率的なサッカーに徹していたことでしょうか?
短期決戦の舞台では「安定志向の省エネサッカー」が有効であることが立証されてしまったのです・・・・。
さて、私が大好きになったオランダ代表とその面々はその後どうなったかといいますと・・・・
私がその後のサッカー界の中心たる存在になってくれると期待していた、ミランのオランダトリオは88-89チャンピオンズカップで絶頂を迎えてしまいました^^
わずか2年ほどで世界のサッカーを変えてしまった中心選手だった彼らは88年のヨーロッパ選手権を迎える前の精神状態とは程遠いメンタルコンディションだったのです。すべてのタイトルを短期間のうちに手に入れてしまった彼らはもはや採るべき最後のタイトルはW杯のみだったのですが・・・・。
そして・・・・90年の本番を向かえる前にはオランダ代表の「お家芸」とも言われる「内紛」が目に見える形で表面化してしまいました。
元々個人主義的なメンタリティを持つ国であるオランダは、ただでさえサッカー選手という「自己主張」の激しい選手たちの集まりであった代表にて、監督選考を原因とした派閥争いが発生してしまったのです。
ヨハン・クライフ派と呼ばれた派閥(ルート・グーリットやファンバステン等)
によって本来統一されたより固い意思により同じ方向を向かなくてはならない選手たちが本番を迎えるに当たり全く別々の方向を向いてしまうという日本では考えられない状況を作り出してしまいました・・・・。
特にファンバステンは他選手以上にヨハン・クライフの監督就任かリヌス・ミケルスの復帰を望んでいたといわれています。
ところがクライフと折り合いの悪いライカールトは(かつてアヤックス・アムステルダム時代にクライフに造反し、スペインのレアル・サラコザへ移籍した過去がありましたので・・・・)当然親クライフ派に反発し、KNBVは結局レオ・ベーンハッカーを急遽就任させましたが、騒動は治まることなく本番を迎え、私の期待を思いっきり裏切られることとなります^^
90年W杯の決勝トーナメント1回戦ではミラノのサンシーロにて西ドイツと戦うこととなり、オランダのミラントリオと西ドイツのインテルトリオ(ローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメ、ユルゲン・クリンスマン)の存在もあり、「裏ミラノダービー」と呼ばれる対決をすることになりましたが、結局88年の因縁を今度は西ドイツが晴らすことになり、その後も少なからず因縁を含むことになる国同士になってしまいました。(少なくとも私はオランダ代表VSドイツ代表が今後も対戦する機会がある時には必ず過去を振り返ってしまうことでしょう^^)
「非常にがっかり」な90年大会は機会があれば振り返りたいと思いますが、それほど私に失望を与えたもうオランダ代表と大会内容でした。
そして・・・・88年以降、FIFAがルール変更をせざるを得ないほどの退屈な内容に終始する国が増えてしまったと・・・・(反則やラフプレーが増え、かつてのスター選手だったアーティストたちも芸を披露する間もないほど窮屈なイメージを持つことになります。)
正直この後のW杯やユーロにて、この当時のオランダ代表ほど期待や好感を持てるナショナルチームは存在していません。また、「すげー」と感嘆するのに2008年にユーロを制したスペインまで待たねばなりませんでした^^
88年ヨーロッパ選手権でも、その後の「退屈なサッカーが流行る」兆候がありながらオランダ代表の華々しさに目を奪われ、将来有望なアズーリに対し要らぬ妄想を抱き、不安要素を一時的に排除してしまった大会でした^^
「サッカー馬鹿ゾウ」になりつつあった私の腐りかけた脳みそが絶対更新不可能なメモリを構築してしまった時期の非常に思い出深い大会でした。
ブロ友「ベルント・シュスター」さんのブログ
*本日の通勤車中のBGMは「AMADEUS」のオリジナル・サウンドトラックでした。
先日何かの番組でモーツァルトの曲が流れていまして、聞きたくなってしまいました^^
youtube Wolfgang Amadeus Mozart "Requiem"
3人の中で、サッカー界における現在の立場を考えると勝者はライカールトって事になるのでしょうか…
ポイントポイントでその処世術が見え隠れしますよね…
んーワタクシは不器用な生き方の方が好感持てますね…
アマデウスは良い映画でしたね~?
最初嫌な奴に見えたサリエリが段々同情してきたりして…(苦笑)
でも長過ぎてお尻が痛くなった思い出が…