コパアメリカ。自慢するわけではないけれど、僕にはこれまでに6度、大会をフルカヴァーした経験がある。ユーロ(欧州選手権)と回数は同じになるが、両者を比較できる立場のものとして言わせてもらえば、コパアメリカの権威はユーロよりだいぶ落ちる。

開催の間隔が2年、3年、4年とまちまちだったり、南米大陸の10か国という国の数が、大会の開催にあまり適さないこと。招待国を募らないと、数が半端になること。ワールドカップ予選の期間が長いため、それとコパアメリカとが接近したことがある等々、いろいろがスッキリいかないところに悩みの種があった。招待国にしてもアメリカやメキシコ等の北中米カリブ諸国なら分かる。必然を感じるが、日本となれば話は別。出場には必然がまったくない。
テレビの放映権料欲しさ、スポンサー欲しさが見て取れる。コパアメリカ出場は、日本にとっては嬉しい話だが、コパアメリカのためにはどうなのか……。つまらないことを、ふと考えてしまう。もし日本が優勝したら。そんなことはあるはずないが。

一昨日、取材に行ったJリーグのある会場で、取材歴の長い記者がこう言ってきた。

「コパアメリカ、ヨーロッパ組の集まりが悪いなら、日本は辞退すべきなんじゃない?」
「無理矢理集めていくのはどうかと思う」

確かに、なのである。日本のサッカーを取り巻く産業的には、出場してくれた方がいいに決まっている。多少メンバーが落ちても「日本代表」の看板が維持されるなら問題なし。サッカー人気維持のためにも、視聴率アップのためにも、結構なことだと思う。僕もアルゼンチン行きたいし。

国際親善にも役立つだろう。親善試合で来日するチームは大抵、メンバー落ち。B代表レベルどころかC代表レベルで訪れるチームもある。そのあたりをメディアは事前に詳らかにしようとせず、大真面目な戦いを装い、盛り上げ役に回ろうとする。誇大広告に荷担するわけだが、それとて必ずしも悪い話ではない。セルビアが3軍で来日しても、セルビアには親近感を抱くことになる。トーゴがたった15人で来日しても、トーゴとの親睦は深まった気がする。

日本が北朝鮮と対戦する場合もそう。突然、他では味わえない意外なムードに襲われる。サッカーの国際試合には、そうした側面がある。世界平和に大きく貢献していると思われる。

コパアメリカは、ユーロ本大会の真剣度を90とすれば、70ぐらい。3年後のブラジルワールドカップを鑑みたテスト的な色彩もある。今回、地元のアルゼンチンが、隣国のブラジルに引き分けたり、惜敗しても、かつてほど大騒ぎにはならないだろう。

とはいえ、一応は公式戦だ。大真面目な大会だ。日本に、セルビアやトーゴのような振る舞いは許されない。「真剣度70」。目指すべきはこのラインだ。もう少し分かりやすく言えば「1.5軍」。このラインを下回る編成だと、さすがに対戦国に対して失礼になる。

とはいえ「1軍」、すなわちベストメンバーが、日本では代表に求められすぎる嫌いがある。真剣度は常に100。気がつけば、スタメンは固定された状態に陥る。誰がスタメンか、イマイチ分からない状態にある国とは一線を画している。その真剣な感じが、余裕のなさに繋がっていたことは事実。ザッケローニも先のアジアカップで、そうした日本的な気質に飲み込まれそうになっていた。スタメンをそらで言えそうな状態が出来上がっていた。

いまや1軍と言えば「アジアカップのスタメン」だ。しかし、僕が言うところの「1.5軍」は、それを基盤とはしていない。基盤はもう少し緩い。1軍の定義は緩い。日本が最終的に辞退するのか、出場するのか、知る由もないが、これを機に「1軍」論の議論が膨らむことを願ってやまない。

思い出すのは、岡田ジャパン。10年南アワールドカップ直前に行われたスタメンの大手術だ。結果的にそれが良い方に作用し、日本はベスト16入りを果たしたわけだが、その時、唐突感を抱かせた原因は、スタメン、レギュラーの幅が、それまであまりにも狭かったことに由来する。

嬉しいことにいま、海外組は増える一方だ。行くばっかりでなく、しっかり活躍もできている。言い換えれば、親善試合のために、簡単に帰国できない環境にある。呼びにくくなっているわけだ。そうした中で「1軍」のイメージを強く打ち出すことに、僕はいっそう抵抗を感じる。

1軍は20人。そんな感じでいるべきだろう。その中の10人が含まれているものが、僕が言うところの「1.5軍」だ。それが集まれば行けばいいし、集まらなさそうならやめればいい。僕はそう思う。