私のサッカー感に重大な影響を与えてくれた試合が数々ありましたが、TOP10形式で表してみると如何なもんかと・・・・やって見ました!
このブログにも登場したことのある試合やこの記事を書きながら思い出したものをまず羅列して、その中で順位付けをしてみたいと思います。
まず外せないのが88-89シーズンのチャンピオンズカップ決勝A.C.ミラン vs ステアウア・ブカレストの試合ですね!(良かったら見てください『88-89 Champions Cup ・・・・Vol.2 決勝戦!A.C.Milan vs F.C.Steaua Bucharest あまりにも一方的な圧勝劇!』)
過去にも振り返っていますが、現在のがっちがち頑固サッカー馬鹿ゾウが未だにこの試合の幻想を追っかけています^^
そしてそのチャンピオンズカップにてミランをとことん苦しめた試合だった88-89シーズンチャンピオンズカップ2回戦のA.C.ミラン vs レッドスター・ベオグラード戦も試合を通しで見たわけではないのですが、ダイジェスト版や文字にて衝撃をいただいた試合でした。(『F.K.Redstar Berglade(赤い星のチーム)とドラガン・ストイコビッチ』)
ストイコビッチを選手として初めて認識した試合だったと記憶しております。やはり飛びぬけたテクニックを持った選手は美しいです!日本に来てくれたときは驚きました!
ストイコビッチ選手がらみで印象に残っているのが90年イタリアW杯の準々決勝 ユーゴスラビア代表 vs アルゼンチン代表です。この試合もストイコビッチ選手のマラドーナ選手よりも凄みを感じたスーパー振りが印象に残っています。(『退場者を出してしまった際の戦い方・・・・Argentina vs Yugosulavia(Diego Maradona vs Dragan Stojkovic) World Cup '90 in Italy』)
日本代表がW杯の桧舞台に初登場した98年フランスW杯の日本代表 vs アルゼンチン代表も忘れられないですね!この試合は内容云々ともかく、W杯の舞台に立てたんだぁ~とただ単に感慨深かったことを覚えています。過去の日本代表の暗黒時代を知っているだけに、アジア出場枠が増えたおかげのおまけ的出場でしたが、世界の強豪との初の真剣勝負はハラハラどきどきしながら見たことを覚えております。試合開始前の国家演奏時はかつて無い程「君が代」に高揚感を覚えたものです。(『お気に入り国家の意味・・・・The Nasional Anthem』)
そして日本代表絡みではやはり「ドーハの悲劇」も忘れられないですね!当時一番W杯に近かった予選が86年メキシコW杯予選といわれておりました。それを超え、限りなく初出場に近づいたのが94年アメリカW杯のこの予選でした。あの当時勝つことが難しかった韓国代表に勝利し、一気に勢いがつきましたが、結局は北朝鮮代表との対戦でもっと点を挙げる事が出来たにもかからわず、3得点しか奪えなかったのが響いてしまいました。また、イラクとの対戦では珍しく日本が政治力を発揮し?審判が有利な判定をしてくれたにも拘らず、引き分けてしまった勝負弱さを露呈してしまいました。
大学生だった私はサッカーにあまり興味の無い友人と実家のTVにかじりついていましたが、試合終了と共に私は暫く脱力状態で、その様子にあきれてしまった友人は無言のまま帰宅してしまいました^^
代表の対戦で印象深いのは74年西ドイツW杯でのオランダ代表 vs ブラジル代表の試合も忘れることが出来ません。世界最強であったブラジル代表を過去現在見たことがないほど完膚なきまで圧倒した「トータルフットボール」は当時衝撃的だったことでしょう!(この試合はオンタイムで見たわけではなく、後にTVの再放送にて拝見しました。(『オレンジ好きと「戦術的たわごと」の原点って・・・・』)
僕が益々オランダ大好きっ子へ、またヨハン・クライフ様とリヌス・ミケルス監督を崇拝する切欠になったことは間違いないですね!
オレンジ好きとしては、88年西ドイツヨーロッパ選手権の決勝戦、オランダ代表 vs ソ連代表も忘れることは出来ないですね!オランダ代表の唯一のタイトルとなっており、組織と個人技の融合が見事に達成された偉大なナショナルチームであったと思います。(『アンリ・ドロネー杯を目指して・・・・EURO'88 in West Germany Vol.5 ”オレンジ好きへの決定打”と3人の巨人達』)
91-92シーズンのU.S.Foggia vs Juventus F.C.の試合も衝撃的だったかもです。
この試合はフォッジアのホームで行われた試合だったのですが、結局2-1でフォッジアが勝利することになりました。
ジュゼッペ・シニョーリ、フランチェスコ・バイアーノ、ロベルト・ランバウディ、イゴール・シャリモフら無名の存在だった選手達が披露してくれた攻撃的サッカーが、ロベルト・バッジオやユルゲン・コーラー、シュテファン・ロイターらがおり、ジョバンニ・トラパットーニ監督の元ガッチガチにディフェンスが固いユベントスを破り、私の中で全くのノーマークだった存在がズデネク・ゼーマン監督と共に脳裏に焼きつく切欠となりました。当時のイタリアのマスコミはアリーゴ・サッキ以降、監督が標榜するのは「攻撃的か?守備的か?」の論争がなされていた時代でしたので、「攻撃的」サッカーの筆頭が「ゼーマンマジック」と呼ばれていたズデネク・ゼーマン氏の採用した4-3-3のフォーメーションと無名選手達でした。ビッグクラブを倒す姿は痛快でした!
86年W杯のブラジル代表 vs フランス代表の試合も面白かったですね!
セレソンには黄金の中盤の生き残りであったソクラテス、ジーコ、ロベルト・ファルカンそして82年には存在しなかった点取屋カレッカ、ミューレルやジョジマールなど強いブラジル代表を象徴できる最後の代表だったと思います。(この後急速にディフェンシヴになってしまいました。)
かたやフランス代表は将軍プラティニを中心にフェルナンデス、ジレス、ティガナ、ジャンジニ、アモロス、バチスタなど「シャンパンサッカー」と所以される魅力的な選手達の集まりでした。
86年のメキシコ大会は高地での開催とヨーロッパ諸国へのTV放送時間帯を考慮され真昼の試合開始時間が増えた大会となり環境面が劣悪でした。おまけにジーコは大会直前に怪我を負っており、満足なコンディションではなかったのです。プラティニも出場はしていましたが、さんさんとした輝きを放ったとは言い難く、82年大会に比べるとスーパースターの輝きが失われた大会でした。(マラドーナは別格でしたけどね^^)
しかし、この準決勝は見応え満点で、カレッカが先制すると、プラティニのゴールで追いつきますが、試合終了間際にブラジル代表がPKを獲得します。キッカーは途中出場のジーコ!決めることが出来ればほぼ勝利が確定する状況でしたが、ジーコは大きく外してしまいました・・・・。延長でも決着がつかずPK戦。ジーコは再びPKキッカーとなり、決めましたが、結局敗れてしまいました・・・・。テレ・サンターナ長期政権の最後の試合となり、70年から長期にわたりタイトルを獲得できないことに危惧したセレソンは本来の奔放さをすて、現実的なサッカーに転換する切欠となりました。(元々環境面から省エネサッカーに終始していた印象は否めませんが)
三菱ダイヤモンドサッカーにて放送された印象深い対戦として過去に「たわごと」ったことがあります「ヘイゼルの悲劇」としてサッカー界の暗黒の歴史として認識される84-85チャンピオンズカップ決勝戦 Juventus F.C. vs Liverpool F.C.の対戦も忘れられません。(『三菱ダイヤモンドサッカーで印象に残っている試合・・・・84-85 Champions Cup Final Juventus F.C. vs Liverpool F.C.』)
87-88シーズンのセリエAA.C.Milan vs S.S.C.Napoliの試合も忘れられないですね!
なんと言っても私がミーハーミラニスタになる切欠を与えてくださいましたから!
(『グーリット VS マラドーナ・・・・campionato 87-88 in San Siro』)
とまぁ羅列しますとキリがないのでこの辺で^^
順位で纏めますと
10位 94年W杯アジア最終予選 日本代表 vs イラク代表
9位 84-85チャンピオンズカップ決勝 ユベントス vs リバプール
8位 86年W杯 ブラジル代表 vs フランス代表
7位 98年W杯 日本代表 vs アルゼンチン代表
6位 91-92 serieA フォッジア vs ユベントス
5位 88年ヨーロッパ選手権決勝 オランダ代表 vs ソ連代表
4位 74年W杯 オランダ代表 vs ブラジル代表
3位 88-89チャンピオンズカップ2回戦 A.C.ミラン vs レッドスター・ベオグラード
2位 87-88 serieA A.C.ミラン vs S.S.C.ナポリ
1位 88-89チャンピオンズカップ決勝 A.C.ミラン vs ステアウア・ブカレスト
となりました!
ごく一部に集中した試合が凝縮されていますが、その辺は私の好みが反映されておりますのでご了承ください^^
そして何分思い出しながらの投稿により、その他にも印象深い試合はあるはずなのです。しかし、私の腐りかけた脳メモリーから引っ張り出すことは不可能によりこの辺で締めさせていただきます・・・・。
ブロ友「ベルント・シュスター」さんのブログ
ミランが多いのは予想出来ました(笑)
仮にワタクシが行うと80年代前半~中盤に集中するかと思われ…(汗)